私の記憶が違っていなければ、私達が青春を迎える頃まで
デニム生地の服装は大人たちから敬遠されていたと思います。
丁度Gパンが私の育ったローカルな地域まで流行し、ジーンズショップが並んだ時代かと。
私も、一生Gパンを履いていられるような。。。なんてことを言っていました。
今は、楽な服装ばかりですが。
母はもちろん戦前の生まれでしたが、戦争を挟んでもおしゃれな人でした。
母の姉は和裁を、母は洋裁を。
ふたりともかなりの腕前で。
母は、晩年(といっても30代後半から)、ほぼ毎日和服に割烹着でしたが、これは洋服よりも和服の方が美しくみえる体型になったというのが理由でした。
その頃、母たち世代のほとんどは洋服になっていたのですから、近所に住んでいる姉妹が着物姿となればそれだけで目を引いていましたし、身内ながら二人とも美しかったです。
戦争中の落下傘の生地は絹だったそうで、それが配給になったことがあったそうです。女学校のころに兵隊さんの慰問のためにダンスを練習し、その生地でドレスを作って踊ったと、ちょっと自慢げに美しい写真を見せてくれました。
Gパンはアメリカの影響ですから、その当時の大人にはあまりいい顔をされるわけがなかったのは当然です。
それでも、頭が柔らかい母は面白そうにジーンズショップに一緒にきてくれました。
最初に買ってもらったGパンは、マッキャンベルだったかエドウィンだったか。
ベルボトムが流行りで、冬の体育着がジャージという素材にになる前、トレパンと呼んでいた白い綿のズボンもベルボトムがありました。
学校は、まだまだ戦争中のようにピシッ!とすることが良しとされ、結構きびしかったはずなのに、ファッションの流行まで先生方も気がまわらなかったのでしょうね
ジェームス・ディーンのようなGパンがいいな〜と思っていても、
そもそもリーバイスは私の街にはやってきませんでした。
大学生になり、リーバイスだのリーだのそれぞれの好みを言ったりして。
夫もそんな一人で、リーバイスのジーンズは手に入れました。
床屋さんで、「ジェームス・ディーンのような髪型に」というと、
床屋のご主人「髪型はできるけど、顔はどうにもならねーな」なんて。
ファーラーのパンツ。サーファーファッションです!
一方で、ブリティッシュ・トラッドだのアメリカン・トラッド(アメドラ)だの。
お金があってもなくとも、私達の世代はそれなりに一通り格好をつけてきたような気がします。
流行は雑誌が伝えてくれました。
そのファッション・情報雑誌にはどこかしらに基本が書かれていて、それをどうアレンジするかを教えてくれました。
アウトフラップは部屋に入るときは内側にいれる、だからポケット周りにはちゃんと玉縁がついているなんて。
もちろん、今はあまり耳にしなくなったTPOも雑誌の受け売り。
でも、その時に覚えたことが、今でも私の服選びに大きく影響しているように感じます。
そして、丁度そのころに父の仕事の都合で海外に触れた私は、お金がない若者でも手間をかければおしゃれができることや、時間を楽しむことができるのことを経験ができた影響もあります。
たとえば、白いYシャツのボタンを元の白を木の素材に変えたり、おしゃれにするのにオーバーボタンなんていうものもあって、クリップでボタンに止めたり、同じシャツなのにどうとでもなります。
最近の夏は異常な暑さですから、仕方がないとは思うのですが、街を歩く若者が下着のような格好なのを見ると少し寂しくなります。
汗かきな太っちょになった昔スリムなこのおばさんでさえちょっとは気取っているので、若者体型でいられる少しの時間には、ちょっと無理して格好良くなってほしいな〜なんて。
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デニム生地の服装は大人たちから敬遠されていたと思います。
丁度Gパンが私の育ったローカルな地域まで流行し、ジーンズショップが並んだ時代かと。
私も、一生Gパンを履いていられるような。。。なんてことを言っていました。
今は、楽な服装ばかりですが。
母はもちろん戦前の生まれでしたが、戦争を挟んでもおしゃれな人でした。
母の姉は和裁を、母は洋裁を。
ふたりともかなりの腕前で。
母は、晩年(といっても30代後半から)、ほぼ毎日和服に割烹着でしたが、これは洋服よりも和服の方が美しくみえる体型になったというのが理由でした。
その頃、母たち世代のほとんどは洋服になっていたのですから、近所に住んでいる姉妹が着物姿となればそれだけで目を引いていましたし、身内ながら二人とも美しかったです。
戦争中の落下傘の生地は絹だったそうで、それが配給になったことがあったそうです。女学校のころに兵隊さんの慰問のためにダンスを練習し、その生地でドレスを作って踊ったと、ちょっと自慢げに美しい写真を見せてくれました。
Gパンはアメリカの影響ですから、その当時の大人にはあまりいい顔をされるわけがなかったのは当然です。
それでも、頭が柔らかい母は面白そうにジーンズショップに一緒にきてくれました。
最初に買ってもらったGパンは、マッキャンベルだったかエドウィンだったか。
ベルボトムが流行りで、冬の体育着がジャージという素材にになる前、トレパンと呼んでいた白い綿のズボンもベルボトムがありました。
学校は、まだまだ戦争中のようにピシッ!とすることが良しとされ、結構きびしかったはずなのに、ファッションの流行まで先生方も気がまわらなかったのでしょうね
ジェームス・ディーンのようなGパンがいいな〜と思っていても、
そもそもリーバイスは私の街にはやってきませんでした。
大学生になり、リーバイスだのリーだのそれぞれの好みを言ったりして。
夫もそんな一人で、リーバイスのジーンズは手に入れました。
床屋さんで、「ジェームス・ディーンのような髪型に」というと、
床屋のご主人「髪型はできるけど、顔はどうにもならねーな」なんて。
ファーラーのパンツ。サーファーファッションです!
一方で、ブリティッシュ・トラッドだのアメリカン・トラッド(アメドラ)だの。
お金があってもなくとも、私達の世代はそれなりに一通り格好をつけてきたような気がします。
流行は雑誌が伝えてくれました。
そのファッション・情報雑誌にはどこかしらに基本が書かれていて、それをどうアレンジするかを教えてくれました。
アウトフラップは部屋に入るときは内側にいれる、だからポケット周りにはちゃんと玉縁がついているなんて。
もちろん、今はあまり耳にしなくなったTPOも雑誌の受け売り。
でも、その時に覚えたことが、今でも私の服選びに大きく影響しているように感じます。
そして、丁度そのころに父の仕事の都合で海外に触れた私は、お金がない若者でも手間をかければおしゃれができることや、時間を楽しむことができるのことを経験ができた影響もあります。
たとえば、白いYシャツのボタンを元の白を木の素材に変えたり、おしゃれにするのにオーバーボタンなんていうものもあって、クリップでボタンに止めたり、同じシャツなのにどうとでもなります。
最近の夏は異常な暑さですから、仕方がないとは思うのですが、街を歩く若者が下着のような格好なのを見ると少し寂しくなります。
汗かきな太っちょになった昔スリムなこのおばさんでさえちょっとは気取っているので、若者体型でいられる少しの時間には、ちょっと無理して格好良くなってほしいな〜なんて。
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