シニアのブログーQue sera sera

遅い結婚、遅い出産、当然娘はまだ同居。 シニアといっても、母と妻も適当ではありながら、一応現役。 日本語講師として、フリーランスで細々と仕事を継続中。 年金と少しの収入ですが、日常を少しでも「いい感じ」に過ごしたいと笑ったり、怒ったりを書いています。 萎えず、気張らず、刹那的と言われても、いい時間を大切に。 ごくごくありふれた日常ですが、立ち寄っていただければ嬉しいです。

Category: 仕事今昔

私が、いまでもあの時期があってありがたかったと思う職場がこのタイトルの②で書いた時期です。

今でも就職は大変なようですが、私は本当になにかの最後の時期というより年に縁があったようです。

私は一浪しています。
オイルショックの影響は結構長く尾を引いて、男子も覚悟をしていたのですが、私の同学年の男子から結構就職の受け入れが回復し、しばらく新卒受け入れをしなかった企業も門戸を開いてくれました。
結果的に、入社の近い先輩がいないので、定年退職の頃には、そこそこの役職につけたようです。

男子同様、短大生には門戸が開かれました。
しかし、4大卒というだけで女子にはまだ門戸は閉ざされていました。
私の大学には短大があったので、私と同じ年度に卒業した短大の部活仲間は全員大手。
そして、私の卒業した翌年に4大卒に門戸が開かれ始めたという状況でした。
そう、翌年です。。。

その頃、私の父は定年退職をしたのですが、退職金を定期預金にすると利子だけでも結構な収入になるような時代に突入。
私の就職した会社にも社内預金がありました。確か、銀行利率が8%くらいで、社内預金は10%くらいの利息がついたと思います。
毎年の昇給、ボーナスアップ、勤めて、お金をもらうということにワクワクしたものです。

そして、バブルが夢のように去り、母を送り、仕事の10年間のプロジェクトにキリがつき、外資ですから、合弁や、買収はよくあることで、そんな話が私の部署にも降り掛かってきたこともあり、退職願いを出しました。

ところが!冗談のような話ですが、退職願を提出した翌週、娘を妊娠したことがわかりました。
翌週です。
私達夫婦には子供はできないだろうとも思っていたので、適当に生活を楽しんでいました。
いい加減な生活をしていましたが、出産により支出がこれまでとは大きく違うのだろうということくらいは想像できました。
恥をしのんで、産休をとって復帰したいから、退職願は撤回したいと言えば、何とかなったかもしれません。
とても迷いましたが、私は一人っ子で、母を送ったばかり、夫側の母は結婚前に若くして旅立っていました。
夫はSEでしたので、2000年対応時期、超多忙。
まるで、シングルマザーになるような覚悟でした。

しかも、直後に知ったのですが、育児休暇がやっと取れるようになった頃でした。
それなら、なおさら退職願を撤回してもらえばよかったです
その時期に私の会社で育児休暇を取った女性がいたのですが、彼女は自分で育児休暇を人事に掛け合ったようです。ですから、彼女以外の社員は、なぜ彼女が遅刻、早退を毎日できるのか、その理由が育児休暇だということを、というより育児休暇はそれができるということを知りませんでした。
もちろん、私もまったくその知識が無く妊娠したわけです。
産休だけで会社に復帰するには出産後短すぎるし、近所に0才児から預かってくれる保育園を見つけられないし、等々で退職を選ぶことにしたのです。

そう言えば、仕事環境とは離れますが、ベビーカー。
私が娘を育てた頃は、ベビーカー禁止とか、公共交通機関でベビーカーは畳まなければなりませんでした。
混んでいる電車では、ベビーカーを畳んで乗っても、ちょっと迷惑顔をされたりしたものです。
娘のベビーカーが必要なくなった頃ですから、2000年を少し過ぎた頃でしょうか、公共交通機関でベビーカーは赤ちゃんを乗せたまま入れるようになりました。
もちろん、そうあるべきですし、当たり前のことです!
ですが、もう少し早く実現して欲しかった。。。

そうして、私は新卒入社以来途切れること無く働いて、もう少しで20年になるという頃に初めて無職になったのです。


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バブルの頃ってどうだったかしら?

本当は、その頃に大きな好況(?)のバブルがあってそれが弾けるまでの時代のことなのだと思うのですが。。。

個人的には、毎日小さな泡ができては、日々あちらここちらに浮かんでいたような感覚です。
社会人としての基本!を覚えなければならない時期を過ぎた頃に、やってきた時代です。
それまで永年雇用が当たり前と思っていた人々の耳に「転職、ヘッドハンティング」という言葉が聞こえるようになりました。

四大卒、女子、一人暮らしの条件では新卒受け入れが全くなかった、オイルショックの影響下最後組だった私たち世代が、あっという間に「キャリアアップ」という言葉を履歴書志望理由に書いたりできるようになりました。

私も「キャリアアップ」という言葉を使って転職しました。
のんびりとした環境で育った私が。。。
やっと入社した日本の社風そのものの会社で10年近く事務をしていた私が。。。

肩パットの入ったボディコンスーツ、ピンヒール、指輪、ネックレス、鶏冠ヘアーと、何でもかんでも身に纏い、名刺には外資の社名、役職も。
見た目は当時の代表的なキャリアウーマンだったかもしれません(笑)

一方でちょっと頑張りました。
毎日企業が撒くバブルを掴んではもう一度飛ばします。
何だか抽象的な言い方ですが、色々が落ち着かない、地に足のつかない時間でしたが、どこかでずっとその時代にいながら、「なんか変!」と感じてはいました。その頃、仕事をすることが本当に面白くなってきたのですが、気づけば日本では大きなバブルがはじけ、私の周りも落ち着かなく浮かんでいた小さなバブルがパチパチと弾け、少しずつ自分の今や将来の道が見えてきました。

結婚、母の闘病から死、妊娠と、その会社にいた時代は個人的な変化も大きかったのですが、その頃出会った方々が、たとえ今は年賀状仲間であったとしても、元気でお過ごしなこと、私を記憶のどこかに残してくださっていることがとても嬉しいです。

本当にみなさん素晴らしく優秀な方ばかりで、私のような凡人を差別することなく仲間に入れてくださり、それどころか、私が自分のことを「凡人」というと、「凡人って!?何?」と叱られるくらい。
優秀な方々に対して、きっと素直な憧れを超え、コンプレックスがあったのかもしれませんが、私の方が差別感を勝手に持っていたのかもしれないということに気づかせてくださいました。
それも、お説教ではなく。
楽しむ時間にはいつも声をかけてくださり、その時間を一緒にすごすも、断るも何一つ遠慮しないでいられる方々でした。

ですから、私にとってバブル期は、その頃に今も繋がれる人と出会って、バブルが弾けてバブル期を笑える人と仕事で関係ができたという素敵な時間だったようです。

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アラサー、多分一番最初にできた言葉。
アラフォー、アラサーを追うようにできた言葉。
アラサー、アラフォー世代が親世代をアラ還と言っていたように記憶しているのですが、そのころ私はアラフィフでだったのですが、アラフィフという言葉がスキップされていて、世代表示用語を持っていなかったのです。
わたしの世代はずっとそうだったような。。。
日本は年齢を気にする国であることは周知の事実。
今の世代にも、ゆとり世代、悟り世代、Z世代(?)と世代命名が続いているようですけれど、私の先輩方は団塊の世代、私の後輩たちは新人類、間もなくマニュアル世代。で、ここでも私たちはスキップされていました:)

新人類が有名になったころ、団塊の世代からは三無主義(無気力、無責任、無関心)と評された、私たち名無しの世代は先輩のパワフルな言葉と戦えず、その熱いメッセージを新人類に伝えても受け入れられた実感がなく、先輩と後輩の間を行ったり来たりしていたような気がします。

しばらくしてどこかの雑誌が「板挟み世代」と命名してくれたようなのですが、きっとその雑誌をご覧になっていない私たち世代は名無し世代のままだと思います。そうそう、板挟み世代はつい最近、新人類と同世代にされている記事がありました。

親に言われても、先輩に言われても、後輩に見向きをされなくとも、私たち世代の多くは「は・ひ・ふ・へ・ほ」でできるだけ平和に過ごそうと努力してきたような気がします。
ははああぁぁ。。。
ふふううぅぅ。。。
へへええぇぇ。。。
ほほおおぉぉ。。。
ひひいいぃぃ。。。⇒これはほとんど使わないですよね。
「は行fade-out活用形」お世話になりました。
とはいえ、実はパパッと物言えぬ私たちは、世代でくくられるのが嫌いな、地味な頑固者が多かったかもしれません。
新人から、まじめに10年くらいで、バブルに突入です。




フリーターデビューしたシニアですが
スケジュール管理が思った以上に面倒なことに苦笑中です
スマホでも、パソコンでもペーパーレスに自信あり
なのですが。。。

お仕事をいただいている会社の数が多くなると
お仕事が決定するまでのミーティングも予定しなければならないし
資料も準備しなければならないし

自分で秘書業をしていた頃は
サクサクできていたせか
何も考えていなかったのですが
まぁ~~~ 何てめんどうなことでしょう🤣

私たちの世代には
何かしらの思い出 思い入れがある方も多いと思うのですが

腕時計

私は針が進むのが好きで アナログ文字盤派です
昔は そう 少し前まで
腕時計を見る回数が多いと そして 眉間に皺が寄っていたりすると
いくら笑顔を取り繕っても キャパいっぱい と バレてしまったり

そして。。。
あれば便利なのは知っていたのですが
夫にはとっくにプレゼントしたのですが
時計と考えれば 決して高価ではないのですが
スマホがあれば十分と 背を向けて。。。
でも とうとう 買ってしまいました

スマートウォッチ

女性の手首には 少し大きいのですが
忙しい時代です
”ツイ”忘れてしまうことがあってはならないのに
不安がよぎる年齢になってきました

便利!!
予想以上に便利
運動不足ですよ!とも教えてくれるし:)

私に秘書ができました
この前のものでも十分だったのですが ま いっか





そしてベルトもこのタイプに

 






今年3月18日金曜日で長い勤務時間の仕事を終わりにしました。
よく働きました。
夫は長年勤めた会社を定年退職
花束、色紙、記念品、家族からの「お疲れ様」
でもね。。。
私は一人っ子だし、私たち夫婦の母たちは早々に他界してしまったから
出産のころに退職したのです
けれど、そのあとも学習塾を開いたり
学習塾がありがたくも自力管理をこえるほど人気で
派遣でオフィスワークフルタイムに戻ったり。。。
ずーーーっと働いてきたのですけれど
この節目が 派手じゃない!
娘が数日してから
”おかあさん ほんとうに お疲れ様なんだよね”
じわ~ッと嬉しいです

とはいえ、終日拘束がなくなっただけで
老後を見据えて(?)副業を増やしていたので
できるだけオンラインで働けるように
数社からお仕事をいただいています

3日/週の拘束がなくなると副業sを迷わず増やせます
しかも海外とのお仕事もあるので、朝でひとくぎり
日中好きな一日にして早い夕方にまたオンライン
夕食を食べて
そう!ブログを書く時間ができそうなのです
今日は朝から面接と模擬クラス
喉カラカラ

思い出していただき物でもう捨てるしかないと思っていたお茶を
ほうじ茶にしました
コーヒー好きの私ですが まろやかな味にホッとしました

18日から後始末やら 次の準備やら と追われていたのですが
あらためて今日 まだちょっと冷たい春の風ですが
何度目かの門出に相応しい春を感じることができました

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