私のブログの「#」に「家族」をよく付けています。
私は、たぶん本当に我儘なのだと思います。
父とは近い関係を持てませんでした。
母とは本当に深い関係だったと思います。
既に他界した両親について文字として嫌なことを残すことはしたくないので、関係の遠い父は娘にとっていいお爺ちゃんだったことだけにするのがいいのかもしれません。
ただ、父の酒乱は母と私に命の危険を感じさせるものであったことは事実です。
母は私を守り、私は母に常に寄り添う。
そんな家庭だったからと一刀両断に言うつもりもありませんが、結婚に魅力がなかったのか、怖かったのか。。。
安心できる家庭って。。。?
私が幸せになれる家庭は、私を自由に、気ままにさせてくれる環境。
そう言い切ってみたかったのですが、そんなことはできず、家族が穏やかに過ごせるように必死で作っていたかもしれません。
笑顔の妻、笑顔の母。
もしそれが、無理やりだったとして、後悔しているのかと聞かれれば、必死にそうしていただけとしか応えられません。
ゴールデンウィーク初日。
キンドルの本2冊読了。
袖丈とズボンの裾あげ2組終了。
ブランチはマック。
夕食はお寿司のテイクアウトを夫が取りに行っておしまい。
「家事無し」の自分勝手な時間でした。
YouTube「後で見る」保存も見ました。
そして、私がタグ付している「家族」の記事をいくつも拝読しました。
そこには、子供の成長や進路に自分の時間に蓋をしている母たちがたくさんいらっしゃいました。
心から、「がんばれ!」
シニアの私は、本当はおばあちゃん世代なのですが、まだ遅いときの子どもで、しかも体調不良が重なり、巣立ちが済んでいない娘と、結局大人として自立できなかったんじゃないのかと思う体がお爺ちゃんの夫との生活で、夫と二人の生活を考えるでもなく、このまま三人生活が続くわけではないのだろうと思いつつ、何とも将来の目途が立たない中途半端な位置にいることに気づきました。
両親と一緒に過ごした20年、一人暮らし20年、家族ができて25年。
今、夫と娘に我儘な私を小出しにご披露しております。
家族がいても距離感のある生活がしたい。
この年になればそれでいいと思っています。
私から距離をおいても、夫も娘も物足りなさや寂しさを感じない関係はできていると思います。
もちろん、物理的にお二人様ともに何もできない?しない?ので、私がブツブツ不満を漏らしながら、さらには、皮肉を大声でいいながら、二人を脅しながら、ありがたがってほしそうに家事をしてはいます(゚∀゚)アヒャヒャ
けれど、それだって、ここ数年自分の生き方をチラッと考え直しはじめてからは、結構いい加減でいいように思えてきました。
「やらない」でいると、「やれない」と思ってくれるようで、返って気遣ってくれたりして。
養老孟司先生の講演画像を拝見しました。
動物である人間と、人間以外の動物の決定的な違いをお話されていました。
・A、B同じ箱を用意して、最初の大人がAの箱に人形を入れ去ります。
・次に母親が登場し、Aの箱の人形をBの箱に入れ去ります。
・そして、先ほどAに人形を入れた大人が再登場します。
・見ているのは3歳と5歳の兄弟。
☆子供に質問・・・この大人は人形がA、Bどちらの箱に入っていると答えるでしょう。
3歳児はBと答え、5歳児はAと。
正解はBなのですが、成長は正解だけで判断できないという不思議と人間が動物と違う成長をするという事実が見えるようです。
3歳児は、見たままの事実を受け入れた感覚で答えました。
5歳児は、Aに人形を入れた大人は、母がBに入れ替えたことを知らないのだからAと答えたのです。
この3歳から5歳までの2年間に人間だけが持つ「交換」という意識を持てるようになるのだそうです。
「自分を他人に置き換えられる」
人間だけが持つ能力。
この意識をしっかり育めるように子供たちを見守りたいものです。
そして、年を重ねるだけで、人間だけが持つこの大切な意識を忘れてしまうのか、見ないようにするのか。。。
そんな風にはならないように、少しおせっかいなくらいでもいい、他者に気を使いながから、シニアという素敵な時間を我儘にすごしたいと改めて思った今日でした。
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2023年 飽きっぽい私の目標は続けること
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私は、たぶん本当に我儘なのだと思います。
父とは近い関係を持てませんでした。
母とは本当に深い関係だったと思います。
既に他界した両親について文字として嫌なことを残すことはしたくないので、関係の遠い父は娘にとっていいお爺ちゃんだったことだけにするのがいいのかもしれません。
ただ、父の酒乱は母と私に命の危険を感じさせるものであったことは事実です。
母は私を守り、私は母に常に寄り添う。
そんな家庭だったからと一刀両断に言うつもりもありませんが、結婚に魅力がなかったのか、怖かったのか。。。
安心できる家庭って。。。?
私が幸せになれる家庭は、私を自由に、気ままにさせてくれる環境。
そう言い切ってみたかったのですが、そんなことはできず、家族が穏やかに過ごせるように必死で作っていたかもしれません。
笑顔の妻、笑顔の母。
もしそれが、無理やりだったとして、後悔しているのかと聞かれれば、必死にそうしていただけとしか応えられません。
ゴールデンウィーク初日。
キンドルの本2冊読了。
袖丈とズボンの裾あげ2組終了。
ブランチはマック。
夕食はお寿司のテイクアウトを夫が取りに行っておしまい。
「家事無し」の自分勝手な時間でした。
YouTube「後で見る」保存も見ました。
そして、私がタグ付している「家族」の記事をいくつも拝読しました。
そこには、子供の成長や進路に自分の時間に蓋をしている母たちがたくさんいらっしゃいました。
心から、「がんばれ!」
シニアの私は、本当はおばあちゃん世代なのですが、まだ遅いときの子どもで、しかも体調不良が重なり、巣立ちが済んでいない娘と、結局大人として自立できなかったんじゃないのかと思う体がお爺ちゃんの夫との生活で、夫と二人の生活を考えるでもなく、このまま三人生活が続くわけではないのだろうと思いつつ、何とも将来の目途が立たない中途半端な位置にいることに気づきました。
両親と一緒に過ごした20年、一人暮らし20年、家族ができて25年。
今、夫と娘に我儘な私を小出しにご披露しております。
家族がいても距離感のある生活がしたい。
この年になればそれでいいと思っています。
私から距離をおいても、夫も娘も物足りなさや寂しさを感じない関係はできていると思います。
もちろん、物理的にお二人様ともに何もできない?しない?ので、私がブツブツ不満を漏らしながら、さらには、皮肉を大声でいいながら、二人を脅しながら、ありがたがってほしそうに家事をしてはいます(゚∀゚)アヒャヒャ
けれど、それだって、ここ数年自分の生き方をチラッと考え直しはじめてからは、結構いい加減でいいように思えてきました。
「やらない」でいると、「やれない」と思ってくれるようで、返って気遣ってくれたりして。
養老孟司先生の講演画像を拝見しました。
動物である人間と、人間以外の動物の決定的な違いをお話されていました。
・A、B同じ箱を用意して、最初の大人がAの箱に人形を入れ去ります。
・次に母親が登場し、Aの箱の人形をBの箱に入れ去ります。
・そして、先ほどAに人形を入れた大人が再登場します。
・見ているのは3歳と5歳の兄弟。
☆子供に質問・・・この大人は人形がA、Bどちらの箱に入っていると答えるでしょう。
3歳児はBと答え、5歳児はAと。
正解はBなのですが、成長は正解だけで判断できないという不思議と人間が動物と違う成長をするという事実が見えるようです。
3歳児は、見たままの事実を受け入れた感覚で答えました。
5歳児は、Aに人形を入れた大人は、母がBに入れ替えたことを知らないのだからAと答えたのです。
この3歳から5歳までの2年間に人間だけが持つ「交換」という意識を持てるようになるのだそうです。
「自分を他人に置き換えられる」
人間だけが持つ能力。
この意識をしっかり育めるように子供たちを見守りたいものです。
そして、年を重ねるだけで、人間だけが持つこの大切な意識を忘れてしまうのか、見ないようにするのか。。。
そんな風にはならないように、少しおせっかいなくらいでもいい、他者に気を使いながから、シニアという素敵な時間を我儘にすごしたいと改めて思った今日でした。
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