シニアのブログでは年金がよくとりあげられています。
節約すれば。。。なんて、甘くない節約を強いられることに間違いないのですが、心の貧しさが感じられないことがとても励みになります。
思い返せば、大学生で東京の一人暮らしがスタートしたのですが、仕送りが頼りでした。
父は見栄っ張りで、お酒の席でも自分で払ってしまったり、~たり、~たり、で母は家計のやりくりに本当に苦労させられていました。私の仕送りのお金は実家の商売の手伝いをしてパート代で工面してくれました。8万円、これが当時の平均的な仕送り額でしたが、母はその平均額を何とか家計の一部に組み込んでくれました。
最初に住んだ木造アパート、4畳半+ガス、水道(カスコンロは1口のが置けるだけ)、トイレ共同、風呂無、入り口別の貸し間、1万8千円。銭湯も確か120円くらいだったと思います。いけない日もあるので、3千円くらい、洗濯機は置けないし、干す場所も軒下だけなので、コインランドリー100円+時々乾燥機100円で3千円くらい、エアコンなしで冬は炬燵が離せないので6~8千円くらいだったかしら、電話もなかったから、公衆電話で実家にお風呂帰りに電話をするのに100円を用意、3000円也。
80,000-(18000+3,000+3,000+8,000+3,000)=45,000
ここから食費、被服費、交通費、書籍、交際費、雑費
この家賃でしたから、食事のやりくりが下手でも十分でした。
若さは、豊かさも望みました
貸し間の大家さんはとてもいい方でしたし、世田谷区の小さな公園が窓下にある静かな環境でした。東京でその環境の住まいは、高いか、交通の便が悪いかのどちらかです。後者、交通手段がバスでした。どんどん値上がりしましたが、JR初乗り30円でした。バスは高いし、長く乗ると到着時間などあってなきがごとく。契約更新の2年目を待って引っ越しました。
吉祥寺の木造アパート、3畳二間団地サイズ、3畳の和室+3畳分の板の間、トイレ共同、風呂無、電話無、2万8千円。銭湯も値上がりラッシュで150円それ以上、月で4千円以上になりました。
80,000-(28,000+4,000+3,000+8,000+3,000)=34,000
ここから食費、被服費、交通費、書籍、交際費、雑費
アルバイトの暇があったら、たくさん勉強しようね。と仕送り費用を捻出してくれた母の思いは痛いほどいつも胸の奥にあったのですが、バイトをしないと居酒屋に行ったり、喫茶店のコーヒーとケーキのセットを頼む余裕はありませんでした。
私が在学中に父が海外赴任となり、母は同行させられましたので、母が仕送りのために、金銭的な苦労をすることが無くなったことだけはほっとしました。
当時1ドル240~280円で動いていたと思います。土地、建物、様々な物価、金利、結果的にはバブルに向けて急上昇中でした。
東京の物価は当時から高かったですが、それでも私の学生時代はもう40年以上も前。昨今の物価高騰、光熱費の値上げ、医療費の負担額増。。。
若さは8万円の生活を楽しませてくれました。地方出身の一人暮らしはみんな大貧乏でした。学食でうどん1杯90円をシェアしたりして。
月末、男子が冷蔵庫にあるものを(賞味期限は見ないことにします。)私のアパートに持ってきて、何とかお腹を満たしたいと。お米を持ってきてくれた男子はいませんでしたが(´∀`*)
フレンチトースト、パンプディング、サラダとしてもやしのマヨネーズ和えなんて変な取り合わせでも、美味しく、おなかが満たされました。
会社員になって、お給料をもらえるようになると、まるでお金持ちになった気持ちでした。おしゃれ、食事、インテリア、住まい、少しずつ贅沢が増し、そのつもりがなくとも浪費をしていた時期もありました。
溢れるほどあった服はリメイクしたりしながら、捨てる前に着つくしました。
長い時間をかけて持ち物もその役目を終えてくれました。多分、そんなに、無駄にした記憶はなく、収入が減った時は、あるものを工夫して暮らしました。それは、働き口は探せばある、収入は仕事を選ばなければ絶対確保できるという安心感もあったのです。
さて、年金。
シニアに働くように言われても、働き口は少ないですね。
アンケートで、「何才まで働きたいですか。」と聞かれます。
心の中では、「もう働きたくないな~」と思っています。
「働けるだけ働かないといけないですね。」と応えたいです。
あの頃に貧しさを楽しめた時とは状況が大分違いますね~。
しかし!ティシュも、床掃除用の紙類も、ペットボトルも、サランラップも、そうした便利なものが無かった時代を知っているギリギリ世代です。
買い物はついでではなく、買い物籠を下げて、今日必要な物だけを買いに行く。ゴミも少なかった。酒屋さんに瓶を返しに行って瓶代をもらう。そんな生活を懐かしがっていたのですから、昭和レトロを地で楽しめるに違いないと。
暮らしの思い出は、しまい込まずに、今を楽しむために使いたいと、懐古主義に浸った昨日でした。
少しでも笑顔の年金生活が送れますように。
日本ブログ村に参加しています。
2023年 飽きっぽい私の目標は続けること
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節約すれば。。。なんて、甘くない節約を強いられることに間違いないのですが、心の貧しさが感じられないことがとても励みになります。
思い返せば、大学生で東京の一人暮らしがスタートしたのですが、仕送りが頼りでした。
父は見栄っ張りで、お酒の席でも自分で払ってしまったり、~たり、~たり、で母は家計のやりくりに本当に苦労させられていました。私の仕送りのお金は実家の商売の手伝いをしてパート代で工面してくれました。8万円、これが当時の平均的な仕送り額でしたが、母はその平均額を何とか家計の一部に組み込んでくれました。
最初に住んだ木造アパート、4畳半+ガス、水道(カスコンロは1口のが置けるだけ)、トイレ共同、風呂無、入り口別の貸し間、1万8千円。銭湯も確か120円くらいだったと思います。いけない日もあるので、3千円くらい、洗濯機は置けないし、干す場所も軒下だけなので、コインランドリー100円+時々乾燥機100円で3千円くらい、エアコンなしで冬は炬燵が離せないので6~8千円くらいだったかしら、電話もなかったから、公衆電話で実家にお風呂帰りに電話をするのに100円を用意、3000円也。
80,000-(18000+3,000+3,000+8,000+3,000)=45,000
ここから食費、被服費、交通費、書籍、交際費、雑費
この家賃でしたから、食事のやりくりが下手でも十分でした。
若さは、豊かさも望みました
貸し間の大家さんはとてもいい方でしたし、世田谷区の小さな公園が窓下にある静かな環境でした。東京でその環境の住まいは、高いか、交通の便が悪いかのどちらかです。後者、交通手段がバスでした。どんどん値上がりしましたが、JR初乗り30円でした。バスは高いし、長く乗ると到着時間などあってなきがごとく。契約更新の2年目を待って引っ越しました。
吉祥寺の木造アパート、3畳二間団地サイズ、3畳の和室+3畳分の板の間、トイレ共同、風呂無、電話無、2万8千円。銭湯も値上がりラッシュで150円それ以上、月で4千円以上になりました。
80,000-(28,000+4,000+3,000+8,000+3,000)=34,000
ここから食費、被服費、交通費、書籍、交際費、雑費
アルバイトの暇があったら、たくさん勉強しようね。と仕送り費用を捻出してくれた母の思いは痛いほどいつも胸の奥にあったのですが、バイトをしないと居酒屋に行ったり、喫茶店のコーヒーとケーキのセットを頼む余裕はありませんでした。
私が在学中に父が海外赴任となり、母は同行させられましたので、母が仕送りのために、金銭的な苦労をすることが無くなったことだけはほっとしました。
当時1ドル240~280円で動いていたと思います。土地、建物、様々な物価、金利、結果的にはバブルに向けて急上昇中でした。
東京の物価は当時から高かったですが、それでも私の学生時代はもう40年以上も前。昨今の物価高騰、光熱費の値上げ、医療費の負担額増。。。
若さは8万円の生活を楽しませてくれました。地方出身の一人暮らしはみんな大貧乏でした。学食でうどん1杯90円をシェアしたりして。
月末、男子が冷蔵庫にあるものを(賞味期限は見ないことにします。)私のアパートに持ってきて、何とかお腹を満たしたいと。お米を持ってきてくれた男子はいませんでしたが(´∀`*)
フレンチトースト、パンプディング、サラダとしてもやしのマヨネーズ和えなんて変な取り合わせでも、美味しく、おなかが満たされました。
会社員になって、お給料をもらえるようになると、まるでお金持ちになった気持ちでした。おしゃれ、食事、インテリア、住まい、少しずつ贅沢が増し、そのつもりがなくとも浪費をしていた時期もありました。
溢れるほどあった服はリメイクしたりしながら、捨てる前に着つくしました。
長い時間をかけて持ち物もその役目を終えてくれました。多分、そんなに、無駄にした記憶はなく、収入が減った時は、あるものを工夫して暮らしました。それは、働き口は探せばある、収入は仕事を選ばなければ絶対確保できるという安心感もあったのです。
さて、年金。
シニアに働くように言われても、働き口は少ないですね。
アンケートで、「何才まで働きたいですか。」と聞かれます。
心の中では、「もう働きたくないな~」と思っています。
「働けるだけ働かないといけないですね。」と応えたいです。
あの頃に貧しさを楽しめた時とは状況が大分違いますね~。
しかし!ティシュも、床掃除用の紙類も、ペットボトルも、サランラップも、そうした便利なものが無かった時代を知っているギリギリ世代です。
買い物はついでではなく、買い物籠を下げて、今日必要な物だけを買いに行く。ゴミも少なかった。酒屋さんに瓶を返しに行って瓶代をもらう。そんな生活を懐かしがっていたのですから、昭和レトロを地で楽しめるに違いないと。
暮らしの思い出は、しまい込まずに、今を楽しむために使いたいと、懐古主義に浸った昨日でした。
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