高校大学と、難しい言葉を覚えて使えるようになると嬉しかった。
心の中の顔は、 ”ドヤ”

いたずらと、今のファーストフード一連の投稿の大問題の違いってなんだろう。

だれか知らない人の目に留まることをしたい。。。
そういう人は昔からいて、
偉業を成し遂げると幼いころの変わり者が、すごい才能の持ち主となります。
芽が出なければ、普通の穏やかな生活か、イライラの中で自問自答しながら生きるか。

いわゆる顔出しで画像に投稿。。。
悪いことを知っていても、悪いことをしている気持ちはなくて、自分の画像を話題に、つまり、自分が話題になって、自分に目を向けてくれる人、その画像を見るまで知らない人も自分に目をむけている。その数までわかる。

可視化
その楽しさと、怖さ。


古のいたずらは、度を越えてはいけないことを学べた
古のいたずらは、その場を見つからないように、見られないように
見つかったら、親は鬼の化身かと思うくらいに自分を叱る、そして、とにかく謝る

見つからないようにいたずらしているようだけれど、
どうしてそれを可視化するのかしら?

自己肯定感って、今の自分くらいの歳になると理解できるのかもしれません。
私だから、この仕事をこの期間でここまでできたのよ!
ブツクサ言っていたような気もします。
そんなこと思わないでいられる今がとても幸せ。

幼稚園生に、みんな仲良く作った積み木を蹴飛ばして壊す子がいても、そのガキ大将君は大騒ぎになって叱られることへの責任感があって、暴れん坊だからみんなと和気あいあいはできなくて、さびしくて、気持ちが足につたわっちゃって、いつも謝ることになっちゃう。




火種
火をつける人のイラスト(棒人間)



気づくのは、早くて小さいうちがいい

火の消火をする人のイラスト(棒人間)




みんな、火がついたら楽しんでたでしょう!
わたしだけ?

1対大勢の戦いのイラスト(棒人間)  


 正論の鉄拳のイラスト

わかるのではなく、つぶれることは、もっと怖いような気がします。

とはいえ、理屈抜きにダメはダメ。

アジア圏は子どもに甘いというけれど、知人程度ですが海外の方の話では、例えば道で我が子が誰かにぶつかったとして、日本人の多くは親が子供の代わりに謝ってしまうような気がするのですが、ぶつかったのが子供ならば子供にしっかり謝らせるし、子供が謝るのをぶつかられた大人も待つという光景をよく目にするとか。

一理ある。子育ての頃に子供から眼を放してはいけないとよく言われました。
今の子育ては、スマホから眼を放さないという光景も多く。。。
その時に、あかちゃんはお母さんがスマホと何をしているのかキョトキョトと可愛い目で追っているのをお母さんは知らないようです。

自己肯定感って、もしかしたら、見ていることしかできなくとも育つのかもしれませんね。


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