私にとって月は不思議です。
祖母が逝ってその最期を看取った母はしばらく祖母ロスでした。そして、ある時、月を見ると祖母を思い出すといったことを言っていました。

私がアラフォーだった頃、足かけ三年の癌との生活に終止符を打った母。時折私のブログに書きますが、きっと今でもロスという感じは消えていないのだと思います。

私達夫婦は10年経って結婚しました。その後娘が生まれるまで5年。私が41歳のときでした。
結婚⇒およそ4年後⇒母の死⇒およそ1年後⇒>娘の誕生

生前母と親しくしてくださった方々が、娘は母の生まれ変わりね、と仰ってくれますが、母のロスを耐えられるかどうか危なっかしい私のために、母が慌てて娘を送り出したような気がしています。もし輪廻があるとしても、母はそれを終えて、もう現世に戻って苦労をしなくともいい、蓮の池のほとりを散歩できるようなところに暮らせるようになったのだと思っています。

天界に住む人の瞬き1回のスピードは現世の1年だとか。母は私と離れたあちらの日々を楽しんでいるに違いありません。私は。。。寂しいです。会いたいです。でも、「まだ、そっちには行かないよ。私は、もう少し面倒なことだらけだけれど、どうやら、こちらでまだ暮らしていたいしらしい。」と母に心で話かけています。

東京で暮らすと空を見上げることより、人にぶつからないで歩くことに気持ちが向いてしまいますが、それでも、月明かりは、「あれ!?今夜は明るいね。」と空に顔を向けさせてくれます。娘は兎年。うさぎのような影の見える頃、
「あら、うさぎさんがお餅ついているよ。あなたお月様でお餅つかなきゃ。」
「どこにも行かないよ。ここで、お母さんとお月様からお餅がピンポーンって届くのを待ってる。」

な〜んて、月を見ては、母に娘を見せていたような気がします。

中学3年生の終わり頃から耐えることができないほどの偏頭痛や、それに伴う身体の不調が小柄な娘を苦しめてきました。最新の治療を受け始めたのが昨年の夏。その後、これまでの長い道のりを逆戻りするかのように、過去に見覚えのある体調不良を続けてきた5ヶ月。先週の水曜日の午後、ようやく当校できた娘。翌木曜日は午後からの授業。授業が終わる頃、娘と学校に一番近いファミレスで待ち合わせをして、おやつなんだか、早い夕食なんだか、娘の帰り道の体力を取り戻す時間を楽しく過ごし、お店を出たときです。5時前でしたから、まだ外は明るかったのですが、三日月より少し太ったお月様の右傍に星が光っているのを見つけました。

目が疲れていたらしく、母似のド近眼娘は月の傍の星がなかなか見えません。広い交差点で変な母子ですよね。みんな、下を向いて足早に動くのに、赤信号待ちの間、空を見上げたり指さしたり、見えるの見えないの。。。私の右腕につかまった娘にも月の右で寄り添っている星が見えました。
帰宅して、夜空の月を見てみると、とてもきれいな月と星でした。

毎年、天体ショーは私を楽しませてくれるのですが、この日の月と星もちょっと珍しい位置だったようです。きれいな星は土星。

てっきり、幼い頃の夕食の買い物の帰り道、母と指さした”一番星見~つけた” の金星かと思っていましたが。そんな珍しい月と星をようやく再起できそうな娘と偶然にも見ることができたなんて。母が知らせてくれたのかしら。天界からのメッセージかも(^∀^)
きっと娘はよくなります。元気になります。


おかあさん、ありがとう。まだまだ、よろしくね。



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